素敵な未来を見つけよう。生徒1人ひとりの自主性を尊重し、健やかな品格と確かな知性を育む飯田女子高等学校です。

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学校法人 高松学園 飯田女子高等学校

心の広場

Heart of the Square

伝道掲示板

本校では、正面玄関の横に伝道掲示板を設置しています。
書道クラブ員に協力をしてもらい、月替わりでいろいろな言葉を掲示しています。
ホームルームなどでとりあげ、自分の生き方や心を見つめる機会となっています。

8・9月の言葉

3年 宮下 桜 書

いくら苦しくても
そこに意味を
見いだすことが
できれば
人間は
生きていけます
(同朋新聞)

朝の法話

本校では、先生も生徒も「共に教えを聞く」という姿勢を大切にしています。
朝の瞑想の時間を利用して、毎週金曜日に身近な出来事を題材にした法話を放送しています。
法話を通して、一人一人が自分自身を振り返る大切な機会となっています。

第10回

2017年7月21日

 全校のみなさん、お早うございます。今日が1学期最後の法話になりました。

 夏休みを間近に控え、暑さも厳しくなってきました。飯田も連日30度を超す真夏日となっています。最近「靴下を下げてはいている人」を多く見かけます。理由を尋ねてみると「だって、暑いから」という答えが返ってきます。確かに暑いから靴下を下げれば少しは涼しくなるかもしれません。この他にも、「楽だから」という理由で裸足でいる人もいました。「暑いから」「楽だから」ということは誰もが感じることですが、こうした生活や考え方が私に与える影響を考えてみたことはあるでしょうか。

 学校という場は、勉強はもちろんのこと、様々なことを学ぶところです。学校生活でも楽しいことや嬉しいことだけでなく、時には我慢をする場面も求められることがあります。規則や校則もその内の一つかもしれません。また、私が進もうとする方向が間違っている時は、その方向を修正しなければならない時もあります。家で靴下を下げてはいていても、裸足でいても注意されることはないと思います。しかし学校という場所は家とは全く違う場所です。言い換えるなら、必ずしも私の思いが全て通る場所ではないということです。そのことに気づかず、私の思い通りの生活をしようとするならば、注意ばかりを受け、学校が何の魅力もない場所ということになってしまうかもしれません。大切な教えや願いにも耳を傾けることができなくなってしまう私は、ブレーキの壊れた車と同じ事なのです。その先に待っているのは「暴走と事故」私自身を傷つけてしまう結果が待っていることがあります。

 1学期が終わろうとする今だからこそ、私の心のブレーキを点検してみる必要があるのではないでしょうか。一番怖い生活は自分のブレーキが利かなくなっているにもかかわらず、それに気づかずひたすらアクセルを踏みつづけている生活なのではないでしょうか。

第9回

2017年7月14日

 全校のみなさんおはようございます。楽しかった女子高祭。その幕開けの校内祭「灯火の集い」で、生徒会長さんの創ったこんな詩が読まれました。

読む。書く。聞く。学ぶ。
見る。集める。伝える。整える。
考える。話し合う。創る。表現する。
いろいろなことに挑みたい。
でも「失敗したらどうしよう。」
「みんな、なんて思うだろう。」
まわりの目が気になって、その一歩が踏み出せない。
校内に明るい声が響く。
何かに打ち込んで生き生きとしている。
「だいじょうぶだよ!」「さあがんばろう!」
うつむくわたしの心をなでていく。
見上げると青空が広がっている。
わたしの「挑戦」が始まった。

 女子高祭ではみなさんそれぞれが、自分の役割に応じて一生懸命に取り組んだことでしょう。クラスの仲間と展示や屋台の準備、各係会などでは、ふだんつき合いのない他のクラスの人や学年の異なる人、今まであまりかかわりのなかった先生と行動を共にする機会がありました。忙しかったものの今はやり遂げた満足感が残っていることと思います。

 ふだん私たちはまわりを気にし、他と比較して自分が良い結果を出せていると満足し、良い結果が出せないと悲しくなってしまうことが多いものです。他と比べての優劣に心揺さぶられ生きているからです。

 でも、他と比べないで自分自身との戦いをすることもあります。自分が頑張れたことに満足して達成感を感じる。他と比べるのではなく、自分自身の努力に充実感を感じて、力を出し切った自分を評価して喜べる心の世界があるのです。

第8回

2017年6月30日

  全校の皆さん、おはようございます。先週の六月二十二日、フリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなりました。病気を患っていることを公表してから今まで、ご自身がどう自分の人生と向き合っていたか、ブログを通して想いを発信し、沢山の人たちと喜びや悲しみを分かち合いながら繋がってきました。
  
 「人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。例えば、私が今死んだら人はどう思うでしょうか。『まだ三十四歳の若さで可哀想に』『小さな子どもを残して可哀想に』でしょうか?私はそんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることはやめました。なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。だって人生は、一度きりだから。」(イギリス公共放送BBCへの寄稿文より一部抜粋)

 これは、連日ニュースや様々な番組で取り上げられている麻央さんの言葉です。

  私たち人間は、生まれ育った環境や境遇を選ぶことはできません。でも、どう生きるかは自分で選ぶことができます。麻央さんは病気から目をそらさずに、「喜びも悲しみも私の人生」と真正面から向き合い、「なりたい自分になる」と決意したのだと思います。そして、妻として、母親として、一人の女性として、誰にも代わってもらうことのできない「いのち」をどう生きるか。二度と繰り返すことのできない「今」と、いつ終わりがくるか分からないけれど、必ず終わりがくる「時間」を、自分のために、周りの人のためにどう使うか。一度きりの「私の人生」をどう生ききるか。この「問い」を大切にしながら家族と向き合い、周りの人と向き合い、そして自分自身とも向き合い、自分の人生を精一杯生きたのではないでしょうか。
 
 「時間」の使い方は、そのまま「いのち」の使い方になると言われています。「今」というかけがえのない「時間」を精一杯生きた麻央さんの姿は、「本当に生きる」とは、どういうことなのかという「問い」を、私たちに遺してくれたように感じます。

第7回

2017年6月16日

 先週、2年生は原点を訪ねる旅、「東本願寺研修」に行ってきました。

 記念講演では大阪で僧侶をされている【越本達了】先生からお話をお聞きしました。とてもユニークな先生で、記念講演も和やかな雰囲気の中でお聞きすることができました。お話の中で、心に残ったことや、学び感じたことはそれぞれ人によって違いますが、私が印象に残ったのは【四つの約束】のお話です。

 私たち人間は生まれてきたときに、【四つの約束】をつけられているというのです。一つは【独自性】。自分の人生は自分のものであり、誰にも変わってもらうことのできない「いのち」を生きています。「あの人みたいになれたらいいな」「あんな人生を歩めたらいいな」というように自分の人生に納得できないこともありますが、誰にも変わってもらうことはできません。二つ目は【唯一性】。私の人生は一回限りで、二度と繰り返すことのできない「いのち」を生きています。上手くいかなくても、ゲームのようリセットすることができないのです。三つ目は【有終性】。どんなことにも終わりが来ます。苦しいことや悲しいことにも必ず終わりが来ます。嬉しいことや幸せなことも同じく終わりが来ます。そして「いのち」も必ず終わりが来るのです。最後に【無常性】。「いのち」の終わりはいつ来るか、誰にもわかりません。この【四つの約束】は、私たちが約束したわけでもないのに、生まれたときからすでに付けられているのです。

 四つの約束を知ると、「一日一日を大切に生きていこう」と思うことはありますが、本当の意味で【大切にする】とはどういうことなのかを考えたことはあったでしょうか。

 「一日一日を大切にする」という答えで終わるのではなく、大切にするとはどういうことなのか、変われない人生とはどんな人生なのかなど、自分自身へ問いかけることを大切にしてほしい。そして「問いかけながらゆっくり焦らず人生を歩めばいい」そう越本先生は伝えたかったのではないでしょうか。

第6回

2017年6月2日

 仏教の授業の最初に唱和する三帰依文は、「人身受け難し、いますでに受く」で始まります。これは、「人として命をいただいて、この世に生まれてくることは難しいことだけれど、今すでに、私はこうして人として生きています」という言葉です。

 地球上には生き物が無数に存在しているのに、その中で人間に生まれることは、確率的にすごくまれなこと。だけど、私はその人間に生まれて、今を生きている。そう受け止めることのできる言葉ですが、ただ単にそういうことを言っているのでしょうか。

 私たちは、今までいろんな場面で命の尊さということについて考える機会をいただいてきました。そして、どんな命も全く平等に尊いと教えられてきました。でも、生きているということは、思い通りにならないことだらけで、悲しくなったり、苦しくなったり、辛くてすべてを投げ出してしまいたいと思うこともあります。どうしようもないくらいの苦難にぶつかったときには、「もう死んでしまいたい」、「生まれてこなければよかった」と思うことだってあります。そんな時には、自分の命さえ尊いと思えなくなってしまいます。

 でも、よく考えてみると、誰もがみんな全く平等に、自分の意志とは無関係に命を授けられて、そして、私を生かそうとする多くのはたらきかけをいただいて生きています。生きているというより、生かされているといったほうが正しいのでしょう。

 私たちは、おなかが減って毎日食事をしたり、おやつを食べたりします。体を維持するためには食べることは欠かせません。ところが、本当のことに目を向けてみるとわかることがあります。肉料理や魚料理を食べるということは、他の命に犠牲になってもらっているということです。十七年間生きたということは、十七年間自分以外の命を奪い続けたということでもあるのです。また、私の口に届くその食べ物には、ずいぶん多くの人が関わっています。その人たちのおかげで食べることができているのです。

 本当のことに目が向くと、他の命に迷惑をかけ、お世話になってばかりの日々を、私は生きていると分かります。そのことに目が向いて、「ごめんね。ありがとう。」そんな気持ちになれた時、私は何のために生まれ、何のために生きているのかといった、最も大切な問いとともに生きる人になれるのです。

第5回

2017年5月26日

 全校の皆さん、おはようございます。今週の火曜日に、1年生は進路ガイダンス、2年生は飯田女子短期大学の見学、3年生の就職希望者は産業職場見学会がそれぞれ行われました。自分の進路について考える、有意義な時間になったでしょうか。

 さて、親鸞聖人の教えの中に、「念仏者は無碍の一道なり」という言葉があります。「無碍」とは、さまたげ(碍)が無いことですから、「念仏の教えに育てられて生きる者は、何ものにもさまたげられることのない人生を歩む。」という意味になります。自分が歩んでいく道において、何ものにも邪魔されることがないなら、どんなに楽でしょう。しかし現実は、多くの悩みやさまたげに直面しながら私たちは生活しています。時には、自分に起こった出来事を、善い事と悪い事、大切な事と邪魔な事というように、自分の価値観や都合で判断しながら生きているのではないでしょうか。

 そんな私たちの生活に対して親鸞聖人は、自分の人生にどのような出来事が起こったとしても、それらにはすべて大切な意味があり、私たちを成長させてくれる「はたらきかけ」がある。悩みや思い通りにならない事から学び、育てられて人生は深まる。だから自分の価値観や都合を超えて、事実を真っ直ぐに受けとめ、自分なりの人生を歩んでいける道がある。それが「無碍の一道」であると示しています。

 1年生の中には、「私は飯田女子高校に入学するはずではなかった。」と悩んだ人がいるでしょう。クラス替えを経験した2年生の中には、「これから自分はこのクラスで生活していけるだろうか」と悩んだ人がいるでしょう。そして3年生は今、自分の進路について考え、「これから自分はどんな人生を歩んでいくのか」、「私はどうしたらいいのか」と、将来に対して不安を抱えていることでしょう。しかし、どんな人生も私の人生なのです。
 誰も自分の代わりに人生を歩んではくれません。そんなかけがえのない私の人生だからこそ、自分なりに、自分の足で歩んでいくことが大切なのではないしょうか。

第4回

2017年5月19日

 全校のみなさん、お早うございます。先週末から今週始めにかけて高校総体南信大会が行われました。各地で熱戦が繰り広げられ、飯田女子高校の生徒のみなさんも大活躍しました。 大会では様々な光景を目にすることができます。チームメイトと勝利を喜び、肩を抱き合い涙を流している選手たち。自分の望む結果が出せずに悔し涙を流している選手。出せる限りの声を張りあげ、応援している生徒。先輩達の勇姿に目をキラキラさせながら応援している1年生。みんなそれぞれかたちは違っていても、大会に参加しています。

  大会に出場している選手は勝利のために汗や涙を流し、練習を積み重ねてきたのですが、選手以外の人々の存在も忘れてはいけません。選手を影で支えてきたマネージャー。選手になれなかった同じクラブの仲間や先輩、後輩の存在。大会がスムーズに進むように運営してくれた補助員や運営委員の方々。あなたが大会に選手として参加するその影にはあなたを取り巻く、多くの「願い」や「働きかけ」があるように思います。

 これはスポーツだけに限らず、日常生活でも同じことがいえると思います。家族のために働いているお父さん。毎日食事やお弁当を作ってくれるお母さん。学校の先生や友達。多くの人たちが私一人を支えていてくれています。
 
 今回の大会で選手になれた人、選手になれなかった人。試合でいい結果を出せた人、出せなかった人。様々だと思います。結果だけにとらわれることなく、私を支えてくれている多くの「願い」や「働きかけ」に気づける私でありたいものです。

第3回

2017年5月12日

 一昨日は釈尊降誕会でした。釈尊の誕生をお祝いするこの行事に参加していると様々なことを感じます。たとえば名前について。生まれると誰でも必ず名前がプレゼントされます。今の自分の名前、気にいっていますか?

 釈尊は誕生して「シッダールタ」という名前をもらいました。両親が子供の誕生の喜びとともに、この子が将来、強い意志で目的を達成することができるようにという願いを込めて、「目的を達成する」という意味の「シッダールタ」という名前を贈ったのです。

 皆さんの名前にも、皆さんの誕生を待ち望み、名前を考えてくれた人の思いがこもっているはずです。

 親がいろいろ考えてつけてくれた名前。親の名前のひと文字をもらったり、良い運勢を開いてくれるという字画で決められたり、漢字や言葉の意味、響きの良さから決められたり、生まれた場所、生まれた季節、親の尊敬する人や好きな人の名前にあやかったり、そこには皆さんが誕生した時、皆さんの両親をはじめとする周りの人たちの、私の誕生に対する喜びと、素敵な人生を歩き続けて欲しいという、私の将来の幸せを願う思いが込められています。そんな願いをプレゼントされて、今、私は尊い私の人生を歩いているのです。

 ある人がこんなふうに語っています。

「私の名前はお父さんがつけてくれた。私の名前には美しいという文字が使われている。たぶん、美しく育って欲しいという願いが込められているんだと思う。見かけというよりも心が美しく育って欲しいということだと思う。だけど、私はやらなければいけないことをやりたくなくてサボってしまったり、興味本位からいけないとわかっているのに面白半分にやってしまったり、守らなければいけない決まりを守れなかったりする。そして、親に叱られると、ムカっとして反抗したり、そんなことばかり。叱ってくれる親の願いなんて、なかなか気づけない。美しく育つということはどういうことなのか。自分にかけられている願いに気づいて、ありがとうと感謝できる人に育つことなのか。」

第2回

2017年4月28日

 全校の皆さん、おはようございます。今月、日本を代表するフィギュアスケーター、浅田真央さんが現役引退を発表しました。浅田さんは五歳からフィギュアスケートを習い始め、今日までオリンピックや世界選手権など多くの大会に出場してきました。これまでの浅田さんの演技や活躍に、多くの人が勇気や感動をもらってきたのではないでしょうか。

 そんな浅田さんのお母さんが、六年前に亡くなられたことは、皆さんもご存じかと思います。お母さんが亡くなった直後、なかなか立ち直ることが出来なかった浅田さんでしたが、その後の大会で、見事優勝をしました。その時のインタビューで、「亡くなったお母さんに、優勝したことをどのように報告しますか?」と訊かれた浅田さんは、「母はいつも私の隣にいるので、わざわざ報告する必要はありません」と答えていました。今回の引退についても、「報告をしなくても母はわかっている」と述べていました。

 姿は見えないけれど、お母さんはいつでも浅田さんの隣にいて、共に悩み、共に喜び、共に歩みながら浅田さんを支え、どんな時でも浅田さんが強く歩んでいけるように、願いをかけてきたのではないでしょうか。そして浅田さんも、辛い時も、悲しい時も、いつでもお母さんからの願いを受け取り、今日まで頑張ってきたのではないかと思います。       
 
 親鸞聖人の教えが書かれている本、『歎異抄』の第一章は、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて」という言葉から始まります。仏教ではよく、「人は亡くなると仏さまになる」と言いますが、「弥陀」とは、この「仏さま」のことを言い、私たちを真理に目覚めさせてくれる「はたらきかけ」のことをさします。姿や形はないけれど、この「はたらきかけ」は、いつでもどこでも私たちのもとに届いていて、「あなたを見守っていますよ」、「あなたを成長させますよ」と、いつでも私たちに願いをかけてくれている存在なのです。
                   
 普段、自分の都合でしか物事を考えられず、その「はたらきかけ」に気づけない私たちですが、「はたらきかけ」は、今この瞬間も私たちのところに届いていて、大きな願いに包まれながら私たちは生きているということを、浅田さんの姿から学ばさせていただいたように感じます。
   

第1回

2017年4月14日

 全校のみなさん、お早うございます。二一七名の新入生を迎え、新しい飯田女子高校の一年がスタートしました。新入生のみなさんは早く飯田女子高校の生活に慣れるといいですね。わからないことは何でも二・三年生に質問してください。

 新入生のみなさんは入学式でクラスが発表されました。二年生も新しいクラスへクラス替えがありました。新しい環境に慣れることは時間もかかり、大変なことかもしれません。今まで築き上げてきた人間関係から、新しい関係を作っていかなければならないからです。

 クラスの中には気の合う人もいれば、苦手な人もいるかもしれません。気の合う人と一緒にいると話も弾み、楽しい時間を送ることができますが、苦手な人と一緒にいると、気を遣ったり、嫌な気持ちになることもあります。もし、クラスが自分の気の合う人や仲の良い人ばかりの集まりなら、こんなに楽しく嬉しいことはありません。しかし、現実は自分に都合の良い環境や出会いばかりではありません。「この人と出会っていなければよかった」「こんな所に来るんじゃなかった」など、私たちにとって都合の悪い出会いもあります。しかし、苦手な人や嫌いな人との出会いが、今まで気づけなかったことに気づかせてくれたり、成長させてくれる存在になることがあります。

 気の合う人、苦手な人、どちらの出会いも、実は出会うべくして出会っており、欠かすことのできない大切な出会いなのです。そして、全ての出会いに意味があり、その出会いを良いものにするのも悪いものにするのも、自分の心の持ち方一つなのではないでしょうか。
 繰り返すことのできない私の人生だからこそ、多くの人と出会った「ご縁」を大切にし、様々な出会いの中で生かされていることに気づける私でありたいものです。

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